혼돈의 힘 : 소외신화ㆍ우로보로스ㆍ치유
Published Online: Dec 30, 2003
Abstract
神話はその荒唐無稽で非道德的かつ奇異な內容のために通常「虛構」と見なされ、事實としての歷史あるいは科學と對立するものとされてきた。が、もし神話が「虛構」だとしたら、それは非常に特別な虛構にちがいあるまい。なぜならば、神話は人間の現實的な生のなかで決して否定できない「力」として機能してきたからだ。したがって重要なのは、われわれが 現に存在している神話の力をどういうふうにとらえ、またどのように受け止めればいいかにあろう。本考では、神話のもつ社會統合的、說明的、敎訓的、神秘的、想像的、および入門的な再生の機能などに注目する一方、そのなかで何よりもまず「治癒」の側面を强調する。もっとも、神話の力は治癒者の顔とともに破壞者のそれをも有している。しかも神話は歷史の流れの中で墮落したり歪曲されたりもする。このことは確にある種の逆說であろう。それゆえに神話を生きるとはつまりこうした逆說そのものを理解し、逆說的な生の本質をありのままで認めることを意味する。この点において神話の力とは卽ち「混沌の力」と言い換えることもできよう。本考は、このように神話の本質を逆說的な混沌の力としつつ、ひいては疎外神話や混沌神話などの事例を中心に女性性に含まれている治癒の力とそれを表象するウロボロスのシンボル(蛇が自分の口で自らの尾をくわえているような圓環のかたちの神話的な象徵)の宗敎的意味あいについて 檢討しているものである。
要するに、ウロボロスとして表象される神話的な混沌の力は、ただ一つの中心点だけに固定され、閉鎖的な自己同一性をもたらす求心的合一の代りに、無數の中心點をもちながらも一定の統一性を維持するような遠心的合一を求める。またそうした混沌の力は、疎外神話を乘りこえ、他者のありのままの他者性を受け入れ、他者の顔に對面し、眞の他者性としての女性なるものの中に內在している治癒の言語と共鳴しようとする。そうすることにより、それぞれ異質的かつ獨立的であって互いに同一化しない音や精神、そして各々の豊かな價値や美をもつ色やカラダなどが高度の創造性を發散しながら成り立つような、いわゆるポリポニー的合一を作り出そうとするのである。結論的に、本考はこうした遠心的合一やポリポニー的合一の創出が全く新しいパラダイム、科學精神や人文精神、および社會體制や日常世界における新モデルの提示や實踐と密接に關わっていることを示唆している。